小池塾

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つくば科学万博

  • 2020年7月4日
通訳として最初の頃は国際会議のGENERAL INFORMATION や展示会の仕事をしていました。半年が過ぎた頃筑波科学万博の三和銀行(現在は三菱UFJ銀行)グループのみどり館で英語ができるコンパニオンとして働くことが決まりました。 2ヶ月の訓練のあと1985年3月16日から9月16日までの184日間の長丁場でした。大手町の三和銀行本社で行われた訓練では、お客様のへの接遇やVIP対応そして手話などを学びました。筑波の会場のパビリオンの中では、何百人も入るシアターでマイクを使わずにナレーションをする訓練があり、これは現在塾ではっきり生徒に伝えるという点で大変役立っています。一番印象に残っておりますのは、生物学者でいらっしゃった昭和天皇がみどり館をご訪問してくださったことです。昭和天皇のお姿は後光が指して神様のように私の目には映りました。コンパニオンとしての仕事は単調でしたが、毎日会場まで通うバスの中で次の仕事に向けJAPAN TIMESを読んでは、親友のMIKIちゃんと未来を語っていました。東京で有能な社長秘書をしている彼女とは、今でも仕事のことが話せる大親友です。昨年久しぶりに東京でみどり館のコンパニオンの同窓会があり、皆と楽しい時間を過ごしました。

To be continued
通訳学校に1年位通いました頃、友人からJCS(日本コンベンションサービス)で働いていました友人から通訳部に登録したらどうですか。と言われ怖い物知らずの私はJCSの通訳部の試験を受けに行きました。 JCSは今では国際会議や国内の学術会議の日本でトップの運営会社です。私の実力では到底合格できないと思っていましたところ見事採用通知をいただき嬉しかったのですが、実力不足の私はとても不安でいっぱいでした。通訳部に登録させていただいて最初の仕事は、新宿の京王プラザホテルで開かれた「細胞生物学会」という国際会議のGENERAL INFORMATION(外国人に向けてのご案内係り)でした。そこで初めて先輩の通訳者の仕事を見た私は、この仕事がしたいと身体に衝撃が走りました。ただ周りにいらっっしゃる通訳者の方は帰国子女や留学経験者で、私のような国産の通訳者はいませんでした。数年経ってから通訳部のスタッフの方になぜ私が採用されたかお聞きしましたら、「履歴書の写真がいい子そうだったから」という返事に唖然としました。今ではそんな事では通訳者にはなれないのであしからず。しかし、レセプションができる通訳者を目指して昼間は仕事、夜は通訳学校と夢に向かって走り始めました。

続きをお楽しみに

通訳学校

  • 2020年6月23日
1年でインテリアデザインの会社を退職した私は、実際に使える英語を身につけたいと思い神谷町にある通訳学校に通い始めました。仕事に関しては大手の会社の内定を頂きましたが、晴海の国際展示場(現在オリンピックの宿泊施設がある所)で11日間行われたドイツ博での仕事がとても楽しかったので、内定をお断りしてフリーで仕事をすることに決めました。ドイツ博ではドイツの鉄鋼会社のコンパニオンとして初めて一流の外国人のビジネスマンや素敵な奥様方に接してとても刺激を受けました。この仕事を通してもっと私の知らない世界を見て、おもいっきり仕事をしたいと思うようになりました。通訳学校では政治や経済用語などの時事英単語を覚え、シャドーウィングや英単語の即答などの通訳の基礎トレーニングを受けました。その中で実際に通訳をなさっていた先生からのアドバイスで、発音は多少悪くてもリズムのない英語は通じない。と教えていただいたことがとても印象に残っています。小池塾の英語教育は私が通訳学校で学んだことが基礎になっており、生徒にはなるべくリズムを身につけてもらうように指導しています。現在文科省が英語の4技能の教育を推奨していますが、当時の私は英語が聞けて話すことができる実用英語を身につけるために必死に毎日勉強していました。

To be continued

西麻布

  • 2020年6月18日
22歳の時に父の友人の紹介で西麻布のインテリアデザインの会社で社長秘書として働き始めました。主に東京や東南アジアの一流ホテルのインテリアデザインを手がける会社で、西麻布にちょっとお洒落をしてワクワク通勤していました。 そんな気持ちでしたから、経理担当のおばちゃまからビシっとお叱りを受け、私の仕事に対する意欲に火がつきました。それからは自分でするべき事を考えて積極的に仕事に取り組み始めましたら、本当に働くことが面白くなりました。このおばちゃまの叱責がなかったら今の私はないと思います。また、秘書として英文タイプライターで手紙を作成したり海外からの電話を受けたりしていたので、英語を使って働く面白さも知り本格的に英語を使って仕事がしたいと思うようになってきました。当時はキャリアウーマン(今は死語?)という言葉ができたばかりで、女性が一線で働くのはまだ珍しい時代でした。父には猛反対されましたが、一生の仕事として本当にやりたい仕事をみつけようと考えるようになりました。

To be continued

渋谷昌樹先生

  • 2020年6月9日
小池塾の講師はラグビー関係者が7名います。元新発田ラグビースクール、新発田高校ラグビー部OB、社会人ラグビー、新潟大学医学部ラグビー部のメンバーです。 息子(現在東京在住)が小1で新発田ラグビースクールに入った時、当時小2だった住吉町教室教室長の渋谷昌樹先生をお誘いしました。渋谷先生はそれから20年以上ラグビーに関わっています。小学校ではテニスもしていたので、私が誘わなければテニスの王子様として颯爽とテニスコートを駆け回っていたはずなのに、泥臭いラグビーに誘ってしまったことを後悔したこともありました。しかし、高校時代は新発田高校ラグビー部のキャプテンとして活躍し、その後は新潟大学ラグビー部にも所属して、今では社会人ラグビークラブでラグビーを心から楽しんでいます。たくさんの友人に囲まれ、逞しい姿を見ると今ではこれで良かった思っています。また、昌樹先生はラグビーと同時に小2で小池塾に入塾して高校3年生まで11年間通ってくれたので、私の指導をしっから受け継いでくれています。今は住吉町教室で生徒の良き先生であり、話のわかる先輩として頑張っています。
小池塾の明るく元気をモットーに、生徒にますます元気パワーを与えてくださ~い!!!
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