アメリカから帰国した頃から、バブル景気で日本中が華やかに賑わっていました。
この私もバブル景気の恩恵にあずかり、春と秋は通訳や国際会議の事務局の仕事を 夏と冬は外資系の金融会社で仕事をしていました。
特に印象に残っている仕事はOBサミットの事務局です。
OBサミットは、元福田首相が主催され各国首脳が東京と箱根の会議に参加されました。
その後外務省で開かれた南極会議の事務局でお仕事させていただき、南極観測船しらせの見学にも同行いたしました。
通訳としては、国際会議にいらっしゃったスピーカーのアテンドや展示会の通訳を中心に、少しずつレベルアップしていきました。
その中でも通訳として2回の海外出張に行きました。
1回目はフロリダで開催された会議に、お客様と一緒に東京からビジネスクラスで同行し、2回目はハワイのオアフ島に奥様のアテンドで行きました。
バブルのお陰で、20代の私には贅沢すぎる贅沢を経験をさせていただきました。
また、外資系の金融会社の仕事では 投資銀行のMERRILL RINCHの受付やCITY CORPの秘書のアシスタントをしました。
バブル景気の真っ只中で仕事をできたことは、幸運であり大変貴重な経験になったと思います。
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米国本土
つくば博が終わった後 年が明けてから一度も訪れたことがなかったアメリカ本土へ旅立つことにしました。
ネイティブの英語にどっぷり浸るためにサンフランシスコに1ヶ月間ホームステイをしました。
奥様が英語の先生のご家庭に滞在し、昼間は彼女と一緒に学校へ行きその後はお買い物をしたりご友人の家にお招きいただいたり、大変有意義な時間を過ごすことができました。
それまでは英語=勉強でしたので、英語がコミュニケーションの道具だと実感できたのは嬉しかったです。
その後2週間ロサンゼルスの親戚に滞在した後、1人でサンディエゴに向かいました。
サンディエゴでは広大なシーワールドのシャチのショーの迫力に感激し、南カリフォルニアの燦燦と照りつける太陽の下でマルガリータを飲みながら、満足感で涙したのを覚えています。
その後は飛行機でラスベガス、そしてバスでグランドキャニオンに向かいました。
グランドキャニオンでは自然の壮大な景色に圧倒されアメリカの大きさを実感しました。
LAでユニバーサルスタジオ(まだ日本にはUSJはなかった)を見学して日本に戻ってきました。
2ヶ月間毎日が幸運の連続で大変有意義な時間を過ごすことができ、英語を勉強してきて本当に良かったと感じました。
生徒には英語が話せるようになると個人旅行を楽しむことができようようになりますよ。
と伝えています。
つくば科学万博
通訳として最初の頃は国際会議のGENERAL INFORMATION や展示会の仕事をしていました。
半年が過ぎた頃筑波科学万博の三和銀行(現在は三菱UFJ銀行)グループのみどり館で英語ができるコンパニオンとして働くことが決まりました。
2ヶ月の訓練のあと1985年3月16日から9月16日までの184日間の長丁場でした。
大手町の三和銀行本社で行われた訓練では、お客様のへの接遇やVIP対応そして手話などを学びました。
筑波の会場のパビリオンの中では、何百人も入るシアターでマイクを使わずにナレーションをする訓練があり、これは現在塾ではっきり生徒に伝えるという点で大変役立っています。
一番印象に残っておりますのは、生物学者でいらっしゃった昭和天皇がみどり館をご訪問してくださったことです。
昭和天皇のお姿は後光が指して神様のように私の目には映りました。
コンパニオンとしての仕事は単調でしたが、毎日会場まで通うバスの中で次の仕事に向けJAPAN TIMESを読んでは、親友のMIKIちゃんと未来を語っていました。
東京で有能な社長秘書をしている彼女とは、今でも仕事のことが話せる大親友です。
昨年久しぶりに東京でみどり館のコンパニオンの同窓会があり、皆と楽しい時間を過ごしました。
To be continued
日本コンベンションサービス
通訳学校に1年位通いました頃、友人からJCS(日本コンベンションサービス)で働いていました友人から通訳部に登録したらどうですか。
と言われ怖い物知らずの私はJCSの通訳部の試験を受けに行きました。
JCSは今では国際会議や国内の学術会議の日本でトップの運営会社です。
私の実力では到底合格できないと思っていましたところ見事採用通知をいただき嬉しかったのですが、実力不足の私はとても不安でいっぱいでした。
通訳部に登録させていただいて最初の仕事は、新宿の京王プラザホテルで開かれた「細胞生物学会」という国際会議のGENERAL INFORMATION(外国人に向けてのご案内係り)でした。
そこで初めて先輩の通訳者の仕事を見た私は、この仕事がしたいと身体に衝撃が走りました。
ただ周りにいらっっしゃる通訳者の方は帰国子女や留学経験者で、私のような国産の通訳者はいませんでした。
数年経ってから通訳部のスタッフの方になぜ私が採用されたかお聞きしましたら、「履歴書の写真がいい子そうだったから」という返事に唖然としました。
今ではそんな事では通訳者にはなれないのであしからず。
しかし、レセプションができる通訳者を目指して昼間は仕事、夜は通訳学校と夢に向かって走り始めました。
続きをお楽しみに
通訳学校
1年でインテリアデザインの会社を退職した私は、実際に使える英語を身につけたいと思い神谷町にある通訳学校に通い始めました。
仕事に関しては大手の会社の内定を頂きましたが、晴海の国際展示場(現在オリンピックの宿泊施設がある所)で11日間行われたドイツ博での仕事がとても楽しかったので、内定をお断りしてフリーで仕事をすることに決めました。
ドイツ博ではドイツの鉄鋼会社のコンパニオンとして初めて一流の外国人のビジネスマンや素敵な奥様方に接してとても刺激を受けました。
この仕事を通してもっと私の知らない世界を見て、おもいっきり仕事をしたいと思うようになりました。
通訳学校では政治や経済用語などの時事英単語を覚え、シャドーウィングや英単語の即答などの通訳の基礎トレーニングを受けました。
その中で実際に通訳をなさっていた先生からのアドバイスで、発音は多少悪くてもリズムのない英語は通じない。
と教えていただいたことがとても印象に残っています。
小池塾の英語教育は私が通訳学校で学んだことが基礎になっており、生徒にはなるべくリズムを身につけてもらうように指導しています。
現在文科省が英語の4技能の教育を推奨していますが、当時の私は英語が聞けて話すことができる実用英語を身につけるために必死に毎日勉強していました。
To be continued
西麻布
22歳の時に父の友人の紹介で西麻布のインテリアデザインの会社で社長秘書として働き始めました。
主に東京や東南アジアの一流ホテルのインテリアデザインを手がける会社で、西麻布にちょっとお洒落をしてワクワク通勤していました。
そんな気持ちでしたから、経理担当のおばちゃまからビシっとお叱りを受け、私の仕事に対する意欲に火がつきました。
それからは自分でするべき事を考えて積極的に仕事に取り組み始めましたら、本当に働くことが面白くなりました。
このおばちゃまの叱責がなかったら今の私はないと思います。
また、秘書として英文タイプライターで手紙を作成したり海外からの電話を受けたりしていたので、英語を使って働く面白さも知り本格的に英語を使って仕事がしたいと思うようになってきました。
当時はキャリアウーマン(今は死語?)という言葉ができたばかりで、女性が一線で働くのはまだ珍しい時代でした。
父には猛反対されましたが、一生の仕事として本当にやりたい仕事をみつけようと考えるようになりました。
To be continued
渋谷昌樹先生
小池塾の講師はラグビー関係者が7名います。
元新発田ラグビースクール、新発田高校ラグビー部OB、社会人ラグビー、新潟大学医学部ラグビー部のメンバーです。
息子(現在東京在住)が小1で新発田ラグビースクールに入った時、当時小2だった住吉町教室教室長の渋谷昌樹先生をお誘いしました。
渋谷先生はそれから20年以上ラグビーに関わっています。
小学校ではテニスもしていたので、私が誘わなければテニスの王子様として颯爽とテニスコートを駆け回っていたはずなのに、泥臭いラグビーに誘ってしまったことを後悔したこともありました。
しかし、高校時代は新発田高校ラグビー部のキャプテンとして活躍し、その後は新潟大学ラグビー部にも所属して、今では社会人ラグビークラブでラグビーを心から楽しんでいます。
たくさんの友人に囲まれ、逞しい姿を見ると今ではこれで良かった思っています。
また、昌樹先生はラグビーと同時に小2で小池塾に入塾して高校3年生まで11年間通ってくれたので、私の指導をしっかり受け継いでくれています。
今は住吉町教室で生徒の良き先生であり、話のわかる先輩として頑張っています。
小池塾の明るく元気をモットーに、生徒にますます元気パワーを与えてくださ~い!!!
中学生集団授業
小池塾は基本的に集団授業です。
駅前教室の中学生は志望校によって3クラス~4クラスに分かれて授業を行っています。
中学3年生は1)新潟高校、新発田高校理数科、普通科・2)新発田高校普通科・3)新発田南高校・4)新発田商業、農業高校等
集団授業では生徒は周囲の影響を非常に受けて成績が上がっていきます。
友人やクラスの様子によって生徒のやる気が引き出されます。
小池塾では新発田市内全域から生徒が通って来ていますので他校の生徒の様子も刺激になっています。
何よりライバルが出現した際には、お母さんは「勉強しなさい」と一切言わなくてすむようになるんです。
また、周りの生徒が宿題をやってきているとやらなかった生徒はやらなければいけないと自主的に思うようになるので、生徒の宿題実施率は非常に高いです。
私は中3の1)と2)のクラスの英語を指導しています。
生徒には高校生としての内容・勉強方法まで指導しています。
最初は課題の多さやスピード感に驚く生徒もいますが、数回の授業で慣れるので高校の授業にスムーズについていくことができるようです。
また、ゆっくり指導を受けたい生徒は少人数で先生がきめ細かく指導しています。
もちろん授業以外でもわからないところがあれば、先生が個別で教えています。
明るく楽しくをモットーに全員で第一志望に合格しましょう。
エイエイオー!!!
小泉純一郎元総理
私が横須賀にいた時友人から頼まれて小泉元総理の選挙のお手伝いをさせていただきました。
当時から大変熱意がありまっすぐなお人柄を側で感じておりました。
ご自宅にお届け物に行きました際に、幼い孝太郎さんと進次郎さんが遊んでいたのを記憶しています。
まだ中選挙区でしたので川崎に越してからも選挙のお手伝いをいたしました。
川崎では小泉元総理の首席秘書官を務められた飯島勲氏(テレビでは怖そうですが)に大変優しく接していただき、お話を伺っているうちに政治にとても興味を持つようになりました。
そのお陰でアメリカで国際政治を勉強しました。
飯島氏の選挙手腕は本当にお見事だったと思います。
当時は小泉議員が総理になられるとは全く想像できませんでした。
その後厚生大臣、郵政大臣そして5年間に渡って内閣総理大臣を務められ、それを陰で支えた飯島氏との小泉劇場を私は新潟でワクワクしながら楽しみました。
貴重な経験をさせていただいた小泉純一郎事務所には心から感謝しております。
生徒のやる気
つつじがピンクの濃淡の花を鮮やかに咲かせ、そして新発田の花であるアヤメが凛とまっすぐ空に向かって深い紫の花を咲かせ始めました。
緊急事態宣言が出てから、生徒たちは学校に行けずに自宅学習をしています。
しかし自由な時間がたっぷりあり勉強できるまたとない機会なので、 高校生には積極的に英語検定を受験するようにお声がけをしました。
1年生は英検準2級を受けますが、中には2級、準1級を受験する生徒もいます。
2年生も2級と準1級を受けます。
3年生は共通テストの1月の実施が決まりましたので徹底した基礎力をつけるように指導しています。
明日は高校3年生の塾内数学模試が行われます。
担当の先生のほうがヒヤヒヤしているようです。
このように塾の中では生徒達は例年よりエネルギーがあり余っているのか、こちらが圧倒されほどのやる気を見せてくれており大変嬉しく思っています。
後は結果が出ると生徒のやる気に一層拍車がかかることでしょう!